ドードー鳥と冬の空(前編)

 この間の英語の授業でテキストとして使われたのがルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」の一節で、そこに出てくるドードーという鳥について英語教師が、「この鳥は今では絶滅してしまった鳥類で」などと説明したのを聞いた桐島ふぶきは、「つまり、ドードー巡りって、絶滅したドードーを探し回る旅の事なんだよね?」と、そんな事を言ってボクを呆れさせたのだった。

「違うよ。同じところをぐるぐる回る事の喩えだろう? 考えが堂々巡り、みたいな。だいたい堂々巡りのどうどうは、漢字であってドードー鳥のドードーじゃない」

 国語が得意ってわけじゃないにしろまあ持っている知識だけでそれくらいの反論はできたのだが、ふぶきは納得しかねる様子で、

「へえ」

 とだけ呟き、それから肉玉うどんの麺を箸でつまんで、ちゅるり、とすすった。昼休み、学生食堂での出来事である。

 食事を終えたふぶきは、最後に寂しそうに呟いた。

「でも、絶滅したドードーを探してるうちに同じ場所に何回も行ったり来たりするかもしれないよ……」

 ふぶきは幼い頃に両親が離婚して今は父親と2人暮らしで、誰もが呆れてしまうような妙な感性を持った、けれど同時に、誰もが振り返ってしまうような美貌を備えた女で、ボクの幼馴染みだった。幼稚園も小学校も中学校も同じで、高校も同じ。別段どっちかがどっちかを懸命に追いかけてるとかそういうのじゃなくて、単純に、学区が一緒で学力も同じようなもんで、ってそれだけの話だ。別に深い仲ってわけでもない。ただふぶきもボクもあんまり親しい友達、ってのがいなくて、それでたまに一緒に飯を食ったりする。

「お前らホント仲いいな」

 と、たまにクラスメートにひやかされたりはするが、ボクとふぶきの仲は良くもなく悪くもなく、ただお互いの存在が空気のように当たり前になっているというだけなのだ。何せ同じ病院で同じ日の同じような時間帯に生まれて隣同士の保育器に入れられたってくらいだから、付き合いは長い。うちの両親が結婚してそろそろ17年くらいのはずで、ボクとふぶきの付き合いはそれとたった2年しか違わない。15年来の付き合い。そう聞けば、いかにも親友めいた響きに聞こえるかもしれないが、ボクとふぶきにそんな言葉は、たぶん、当てはまらないと思う。休日に一緒に出掛けたりした事もないし、あれこれ深刻な相談をした事も受けた事もない。それにそもそも、ボクには親友というものの定義がよく分かってはいないのだ。何だって他人同士が親友と呼ばれる間柄になれるんだ? 何か儀式や事務手続きがあるのか? 夫婦みたいに? お互いに確認し合う必要があるのか? ボクとキミは親友だよね。うんそうだね。とか言い合ったら親友になるのか? よく分からないが、同じような事が浮かんでくるばかりで結論も出やしないから、ボクは考えるのを止めた。ふぶき、こういうのを堂々巡りって言うんだぜ。なんて、そんな事を思う。

 それにしたってドードー巡りなんてまた、よくもそんな発想が出てくるもんだ。昔から妙な事ばかり考えるヤツではあったが、最近の思考の迷走ぶりはなかなか、思い出すだけで眩暈がしそうな感じで、

「ペストって病気の名前だよね?」

「そうだね」

「怖い病気なんだよね?」

「そうみたいだね。よく知らないけど。昔はとても怖い病気だったって世界史の授業で言ってたよ」

「でも、豚ペストっていうのは、豚しかかからないペストだからわたしにうつったりはしないよね?」

「豚ペスト? そんなのがあるの?」

「こないだテレビで言ってたよ。ぶたぺすと」

「ふぶき」

「ん?」

「それは多分、地名のブタペストじゃないかな。病気じゃなくて」

「あー。そうか。それで地図が出てたのか」

「豚の映像とか出なかっただろう?」

「そうだね。うん。ありがとう。やっぱエッちゃんは賢いねえ。ふふふ」

 なんて会話は日常茶飯事で、まあ、よく言えば自由な発想、だけれども酷い言葉で言えば阿呆、なんである。これで偏差値がボクと同じくらいだからボクとしてはちょっと傷付くが、言語関係に関してちょっとエキセントリックな発想が出てくる以外、ふぶきの記憶力や応用力はむしろボクよりも優れているのはボク自身分かっていて、結局プラスマイナスゼロ、って感じでボクらの成績は横這い横並びなのだった。

 そんなふぶきの変な感性は当然ふぶきのクラスでも知られていて(ボクとふぶきはクラスが違う)、この間もふぶきと同クラスの植松が、植松とボクは中学校が同じだったので時折会話をする仲なのだけれど、凄い勢いでクラスに駆け込んでくるや、

「エイジ! エイジ!」

 ってボクの名を呼んで大騒ぎで、

「何だよ、一体」

 とボクは問うた。まあ答えの予測はある程度ついていて、植松がやたら大騒ぎしてボクのところにくるのはふぶきに関する話の時だけなので、答えはやっぱり案の定、

「ふぶきが! ふぶきがさァ!」

 って笑いを堪えながら、聞き取り難い声で植松の言う事には、英語の授業で朗読をさせられたふぶきが、「ripe」という単語を大声で「レイプ!」と言い放ったという、まあなんとも下らない話であった。ボクは今さらそんな事で驚いたりしない。ふぶきは中学の時、「got them」という並びの言葉を自信たっぷりに「ガッデム!」と発音し、しかも叫び、英語教師の目を白黒させたりしている。
 そりゃ、必ずしも間違ってるとは言えない。実際ガッデムに近い発音だろうよ、それは、とは思うけれども、ふぶきは映画とかで出てくる「god damn you」であるところのガッデムという発音を、「got them」の事だと思い込んで、それで自信たっぷりにガッデム! などと叫んだのだ。

「だって映画じゃみんな叫んでるんだもん」

 と後になって弁明していたが、論点はそこではないのだ。ふぶきよ。そもそもそれはガッデムとは違うのだ。

 と、まあ、こんな感じで日常が過ぎているもんだからボクもふぶきが何を言おうといよいよ驚かなくなってきた。呆れるだけで。

 ふぶきはふぶきでボクが驚かないのをいい事に、自分のエキセントリックな感性への自覚が薄れていき、小さい頃はまだ、

「わたしって変なのかなあ」

 と、迷い躊躇いを口にする事もあったものだが、最近では、

「みんな寄ってたかってわたしの事を変人扱いするんだもん。やになっちゃうよ。その点、エッちゃんはそんな事しないから偉いねえ。よしよし」

 とか言ってボクの頭を撫でてきてボクは複雑な気分になる。ボクがふぶきの言動にあれこれ言わなくなったのは、付き合いが長いからこその半ば諦めが混じった感情の故で、もうとりあえず驚かないでおこうとか思っただけなのだが、それを、偉いねえ、とか言われても。むしろオトナになって妥協というか、達観というか、そういう方向に進んでいっただけの話、そしてふぶきだけがぽつんと取り残されているだけなのだ。

 そんなふぶきではあるが、見た目だけで言えば大変美しい顔立ちをしているものだから、周囲の男達からまじまじ見つめられたりするのはしばしばで、付き合って欲しいと告白された事も一度や二度ではない。現在ではボクと同じようなふぶきウォッチャーと化している植松も、中学の時にふぶきの美しさにのぼせあげて告白して、

「俺と付き合ってくれない?」

 と勇気振り絞って言ったところが、

「え? どこに?」

 と素で返されて、その瞬間、何か気持ちが萎えてしまったと言っていたが、

「だってよー、わざわざ手紙渡して人のいない場所に呼び出してんだから分かるだろ、普通さー」

 というその後の植松の言には、ボクは完全には賛同しかねるのだった。ふぶきのそういうところを理解してやれぬのならそもそも付き合いたいなどと願うべきではないのである。

 しかしそれに気付かぬ若人共は、命短し恋せよ乙女的な勢いでもって、まあ乙女じゃなくて男なんだけど、ふぶきを我が物にしようとあれこれ画策して、しかしそのどの計画もふぶきの感性には一向に届かず徒労に終わり、後には、あの女は無理だ、扱えぬ、などという感想が残るのみであった。酷いヤツになると振られた事で(そもそもふぶきにしてみれば振ったつもりもないのだろうが)、コロリと手のひらを返して、あの女は頭がおかしい、などという陰口さえ叩き始め、恋愛事には疎いふぶきも、そういった負の感情に対しては意外な程に鋭敏であるから、悲しみ、さめざめ泣いて、

「ううう。何で嫌われたんだろう。ううう」

 とかボクの前でさんざ疑問をブチまけたりするんであるが、ボクは、いや、それはね、などと詳細な理由をあれこれふぶきに伝えるような真似はしない。説明したところで理解できないからこそふぶきはふぶきなのであり、これまでだって、さんざん、自分は告白しているのだぞ、お前と付き合いたいと思っているのだぞ、などとクドクド説明した男がいなかったわけではないのだが結局うまく伝えられないようであった。そんだけ必死にやってるヤツで伝えられぬものを、ボクが伝えられようはずもない。ボクはふぶきが今のままでも別に困らないし、あれこれ驚くような事もなくなったし、このままふぶきとの付き合いが続いたりいずれ途切れたりしてそのうちお互いが別々の道を歩んでいって、って、そんな感じでいいのだ。ただ願わくば、いつか、ふぶきのこの感性を受け入れてあげる、その上で男女の付き合い云々というものをきちんとふぶきに理解させてやれる男というものが、ふぶきの前に現れればいいのにな、とは思う。そもそも1人で生きていけるのだろうか、あいつは。などと考えながら、ふぶきのクラスは現在物理の授業中である事を思い出し、窓際一番後ろの席で、こくり、こくりと舟を漕ぐふぶきの姿を想像した。物理が大の苦手なのだ。ふぶきは。だから中学の時から物理の授業中は寝てばかりいる。鼻提灯とか膨らませて。

 まあ、そんな感じでボクとふぶきの密接なのだかそうでないのかよく分からない曖昧な関係は続き、高校に入って最初の冬を迎え、みんな制服の上からダッフルコートとか着込むような時期になって、けれどふぶきは1人だけセーラー服1枚で登校していた。

「わたし、冬が好きなんだ」

 と広言するふぶきは、名前の通り、真冬の吹雪凄まじい日に産まれたのであり、という事はすなわちボクもその日に産まれたのであるが、そのボクが寒いのは苦手であるところを見ると別段産まれた日とふぶきのその嗜好とは関係性はないものらしい。

 さておき、ふぶきは指先かじかむクソ寒い早朝の空の下を、薄っぺらなセーラー服姿でスキップなどしながら登校して、それを見た人々は、やっぱりあの女はどこかおかしい、という感想を募らせているようであった。まあ常識人に見られるためにわざわざ着たくもない上着を羽織るというのも歯痒い話であるし、本人は別に気にしていないようだからボクは何も言わないでただ薄着のふぶきを見て、ああ、寒そうだなあ、などと思うだけだ。

 そんな中、それでもまた1人ふぶきに突撃して撃沈されたとか、そんな噂が上がったりすぐに忘れ去られたり、冬の寒さは厳しくなる一方で、ボクは白く濁ったため息を吐いたりする。一体ふぶきはどうしたら他人を受け入れるのだろう。今までいろんなヤツがふぶきに告白したけれど、顔がいい奴もいたし性格がいい奴もいたしスポーツができる奴、勉強ができる奴、多種多彩な男達がいて、ボクの目から見てもいい男ってのはたくさんいたのだ。しかしそのどれもふぶきの眼鏡に適う存在ではなかった。ふぶきが彼らを受け入れなかったという事は、つまり、そういう事なのだろう。

「ふうん」

 昼食の最中にそんな呟きを発すると、ふぶきは鶏みたいに首をくりくり動かしてボクを不思議そうに見つめている。

「ふうん、って、何が?」

「ん? 何でもないよ」

「む。隠し事をしているな」

「ボクだって隠し事くらいあるよ」

「むむ」

「何だよ。おかしいかい」

「むむむ」

 と唸りながらクラブサンド頬張るふぶきが何を考えてるのかはよく分からない。普段なら、まあこれで終わりだ。終了。そのまま食事を再開して昼休みが終わって授業が開始されるんであるが、その日に限って妙にふぶきが何を考えてるかっていう事が気になって、

「あのさ」

 とボクは言う。ふぶきは怒ったように頬を膨らませてもぐもぐしているのだが、実際は怒っているわけでなくてクラブサンドが口の中いっぱいに詰め込まれているからだ。

「ふぶきは何で告白されても絶対断るわけ? そんなに気に入らないの? 結構いいヤツもいたと思うんだけどさ」

 ボクの一言にふぶきは目をぱちくりさせてもぐもぐし続けて、そのまま咀嚼しながら、

「らんれ?」

 と言う。

「いいよ。飲み込んでからで」

「うん。ちょっろまっれ」

 で、もぐもぐもぐもぐ噛むスピードを上げてごくりと半ば無理矢理な感じで口の中のものをいっぺんに飲み込むと、ふぶきは苦しそうにノドをひくひくさせ始めた。ボクが自分のお茶をふぶきに差し出してやると、ふぶきはそれを受け取って飲み干してグラス置いて、ふはー、と息を吐いた。

「ありがと。相変わらずエッちゃんは優しいねえ」

「そうかい」

「そうだよ。優しいね。ふふふ」

 って会話してるうちにふぶきはボクの質問の事なんかすっかり忘れてしまっているから困る。

「……あのさ」

「ん? ああ、何だっけ。エッちゃん、何か質問があったんだっけ?」

「いや、いいよ」

「む。隠し事をしているな」

「ボクだって隠し事くらいあるよ」

「むむ」

 図らずも堂々巡りな感じになってボクは苦笑する。ボクの頭の中ではもう堂々巡りはドードー巡りって変換されるようになっていて、絶滅してしまったドードー鳥を探す、そんなアテもない旅を続けるうちに、同じ土地に何度も足を運ぶハメになってしまった哀れな旅人を想像してしまっている。

 ふぶきの考えてる事なんて結局聞いたところで分かるはずもない。それこそドードー鳥を追うようなもんだ。見付かるはずのない鳥を探す無謀な旅と同じだ。だから堂々巡りになってしまうのだ。そう結論付けてボクは首を振った。

「やれやれ」

 呟くと、昼休み終了5分前を示すチャイムが鳴った。

 で、世間はクリスマスシーズンに突入して街のあちこちに赤だの緑だのが目立ち始めてたまたまそこらへんに生えてただけのように見える大きな木にはピカピカのライトだの星飾りが付けられてきらびやか、流れるミュージックもサンタクロースはまだかまだか、って感じのものばかりでクリスマスが嫌いなボクとしては大変面白くないわけである。

 というのも、ボクの産まれた日というのがクリスマスと1日しか変わらぬ、しかも24日ならまだクリスマス・イブってやつで祝われてるものを、ボクが産まれたのは後ろに1日ズレてる26日だから、もう、11月の頭くらいからガンガンに盛り上がってたクリスマス気分が一気にしょぼーんと萎れたまさにその日で、小さい頃からクリスマスと一緒くたにして誕生日を祝われた事しかないのであるボクは。だいたい、クリスマスってのはイエス様か何かの誕生日のはずで、それがどうしてそんなにもお祭り騒ぎになるくらいめでたいのかはクリスチャンではないボクにはよく分からないんだけれども兎に角、はっきりしてるのはそれがボクとは何の縁もゆかりもないおっさんの誕生日でしかないという事実で、やっぱ26日産まれとしては、何で26日に産まれてるのに25日に祝われなくちゃいかんのだ? そんなにそのおっさんが大事か? ボクみたいなつまらん男の誕生日よりも磔になったおっさんの誕生日の方が大事か。左様か。いいよいいよ、もう。そんなんなら祝わんでくれても。とか、思ってしまうのは仕方ないと思う。実際問題。それでも祝ってくれるだけマシっちゃマシだなあ、とか思ったのは中学生になってから、「あんたももういらんでしょう? パーティとか。そんな年でもないもんね」という母親の一言でただ机の上にお金入った封筒が置かれてるだけの誕生祝いになった時だった。人間はゲンキンなものだから、今まで疎んでいたものの価値を、失ってから気付いたりする。こっ恥ずかしくはあれど、おめでとうおめでとう、と言われる事はそんなに悪くないものだったのだ。

 で、まあ、なんでこんな話を始めたのかって言えば、ボクと誕生日が同じであるふぶきが、あいつは自分の誕生日がクリスマスから1日遅れである事に不満を抱かないどころかむしろ嬉しそうに、

「だって、クリスマス直後ってケーキがセールで安くなってるんだよ。何かお得だよね!」

 などと言うもんだから、普段のふぶきの奇行奇言に呆れたりするボクも、さすがに少し感心して、なるほど、ものは考えようだなあなどと思い知らされたのだった。

 さりとて、なるほどなるほど、と相槌打つのも妙な感じがしたので興味なさそうなふりを装ってボクが、

「ふうん」

 と答えると、ふぶき、

「あれ? エッちゃん、ケーキ嫌いだっけ?」

「いや、嫌いじゃないよ。好きでもないけど」

「そうかそうか。じゃあエッちゃんのお母さんがエッちゃんにくれたケーキはわたしのところに届けるといい!」

「憶えてたらね」

 と、誕生月を迎えたボクとふぶきはそんな話をしながら昼休み、やっぱり友達もいないんで一緒に食事をとりながらそんな話をしていた。

 しかしそんな話があったところで実際にボクがふぶきのところにケーキを届けるなどという事態を迎えるわけはない。何故ならボクはふぶきと幼馴染という関係ではあれどふぶきの家に遊びに行った事などないのだ。というのも、ふぶきの唯一の肉親である親父さんが少しばかり変わった人で、ボクの住んでる近所じゃまあ有名な話、犬の散歩中の老人に、うるせえ! と怒鳴りながら水をぶっかけた、なんてのはかわいいもんで、子供がキャッチボールをしていたところが大暴投で桐島家の庭にボールを投げ込んでしまい、謝って取りに行こうとしたら猛烈な勢いで親父さんが飛び出してきてコドモの目の前でボールにナイフを突き立てて殺すぞ発言したとか、夜中に公園に出かけて誰を落とすためかも分からぬ落とし穴を掘っていたとか、まあそんな噂の絶えない人だったから、「あんたもあの家には近付いたらいかんよ」などと幼い頃から母親に言いつけられて今に至る、というわけだ。

 ふぶきを知る者としては、あの親にしてこの子ありなのかなあ、などと思ったりしないわけでもないが、それにしてもただ暢気で素っ頓狂な発言を繰り出すふぶきと、やたらめったら他人に対して攻撃的である親父さんとでは、同じ奇矯さでもいささか種類の異なるもののように思える。

「え? お父さん? 優しいよ? 何で?」

 父親の事を問えばふぶきはいつだってそう答えるのだが、それが本心なのか建前なのかはよく分からない。本当は殴られたりなんだりしてるんじゃないかなどと、時折、特に夕食時に母親からふぶきの親父の奇行の噂を聞かされた時などは心配になったりするが、それを確かめる術もない。しかし夏服を着ていたふぶきの体に虐待などの跡があったかと言えば否であるし、まあそういう事はないのだろう、杞憂だろうと思いたいボクであった。それに、もし仮にふぶきが実の父親にブン殴られているなどとしてもボクに一体何ができるというのだ? 何もない。ボクとふぶきはその程度の関係でしかあり得ないのだから。